真の仏教徒には、うつ病はいないという事実

これまで、真の仏教徒の中に、うつ病をみたことが無い。

なぜ、真の仏教徒には、うつ病がいないのか?その理由は?

真の仏教徒は、

心が痛む行いをしていない。つまり五戒を遵守している。(五戒とは:むやみに生き物を殺さない・人の物を盗まない・嘘をつかない・不倫をしない・泥酔しない)
慈悲(苦しんでいる人を助けたいと思う気持ち)と利他(他人の立場に立って考える)を実践している。
慈愛に満ちている(自分にも人にも愛情をかけること。愛情をかけるとは、大切に思う気持ち)
いつも何かに感謝している。「ありがとう!」という言葉が日常的に出ている。(たくさんの感謝が身近にあることに気が付いている)
身口意に注意している(身とは体で行う暴力などの悪い行為・口とは暴言や批判や悪口、陰口・意とは身や口で行う行為だけではなく、悪意を持つ意識、悪いことを心の中で思うこと)

上記の中でも、特に重要なポイントは、「いつも何かに感謝している」ということ。朝日が出てきてもありがたいし、息が吸えることも、水を飲めることもありがたいと思っている。太陽エネルギーの役割、地上に存在している空気の役割、生命を育む水の役割に気がついている。毎日口にする食べ物がどういう過程で得られているのかも知っている。自分を支えているのは自然環境だけではない。身の回りに存在する人、経済を回しているすべての人からも支えられているのだ。いつも何かに感謝できるのは、たくさんのありがたい事象に気づいているからである。

どうしたら、身の回りにあるたくさんのありがたいことに気が付けるのか?

まずは自分中心の物の見方では、ありがたいことには到底気が付けないのだ。自分を中心に物事を観たり考えたりしていると、必ず自分の都合を優先するようになる。自分の期待や自分の損得で物事を観てしまうと必ず不平や不満が生じてしまうのだ。まずは、これを捨てなければならない。

次に観察力が無くては、ありがたいことには気が付けない。自分の経験や知識といった偏った物の見方を捨て、心を平静に保ち(呼吸と姿勢を整え)、目の前の事象をありのままに、素直に観ることができるかどうか。「自分は常に正しい!」と思っている人(傲慢)は、ありがたいことに気が付けない。事象をありのままに観る、素直に観るとは、思考だけではなく、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五感が鋭いほうが観察力が増す。思考だけでなく、五感を使って観察する、感じるようにするのだ。

さらに観察力に加えて洞察力が必要となる。すべての事象には原因と結果がある。観察した情報から、何がどうなっているのかの因果関係を把握、洞察できるかどうか?これには、ある程度の教養が必要で、無知では洞察はできない。世の中の仕組みや、人間という生き物の特性や、自然現象の法則などを知っておく必要がある。だから世の中の仕組みは勉強しておかないといけない。本来、これを教えるのが親であり学校の役目である。

結論:「たくさんの感謝に気づいて生活している人はうつ病にはならない」ということである。「感謝の気持ち」は脳(心)を柔らかくし、脳(心)を育てる究極の薬となる。

(記 普陀山妙法寺住職 正禅)

愛情をかける行為は自身をも救う

愛情をかける行為は、周囲の人を幸せに導くだけではなく、実は自分自身を救う行為でもあります。

愛情をかける行為とは、相手を尊重し大切にする行為です。愛情をかける行為は、特別労力のかかる行為ではありません。相手の状態をよく観察し、相手の状態に応じて優しい言葉をかけるだけでもよいのです。

愛情をかける行為は、周囲の人を幸せに導くと同時に、実は自分自身の心や脳を癒し、穏やかで正しい判断ができる冷静な心(脳)を育成します。愛情をかける行為を実践していると、自分自身の不安やストレスやイライラも少なくなってきます。愛情をかける行為は、実は自分自身を救う行為でもあることに着目しましょう。

逆に、愛情をかけない、愛情を受けない生活をしていると、次第に自身の心を破壊していき、冷静な判断ができない心(脳)を生み出します。暴言を吐いたり、暴力的になったり、いつも落ち着かない、イライラしている状態、すなわち修羅の世界へ入ってしまいます。いつも、周囲の人から攻撃されるのではないか、悪口を言われているのではないか、思うようにいかないなどと、不安でビクビクした状態となります。

動物でも同じです。毎日虐待されている動物は暴力的になり、警戒心を持つようになります。人間も同様で、愛情をうけていない、愛情が不足している人々が増えることで、自己中心的な行動や日常の些細な喧嘩・口論が増え、また昨今のニュースに出るような様々な悲惨な事件が生じます。

社会的な影響力のある政治家や経済界のリーダが、国民や従業員に愛情をかけないと、殺伐とした社会が形成されてしまいます。その結果が今の日本の状態です。

もし、あなたが、毎日イライラしたり、不安であったり、愚痴が多くなったり、暴力的になったりしているのであれば、まずは人に愛情をかける行為を実践してみましょう。穏やかで安心な日々を送りたいのであれば、人に愛情をかける行為を実践してみましょう。

人に愛情をかける行為は、実は自分自身にも愛情を注ぐことになるのです。そして愛情をかける行為は、自身や他人を幸福に満ちびくだけでなく、高次元の世界へ繋がる最も有力な方法でもあります。高次元の世界に繋がると、いままで気がつかなかったことにも気がつき、見える世界が変わってきます。

(記 普陀山妙法寺住職 正禅)

心の解放

「住職のなんでも相談室」を設けており、様々な方のお話しを聞きますが、思うに、「人間って、なかなか難しい生き物だなぁ」と思います。
個人毎の知識や体験。そして、取り巻く環境によって、人それぞれですが、要求が満たされないストレスと、派生して生まれる穏やかさを消してしまう思考が頭の中をグルグル回るわけです。
2600年ほど前から、人間の思考は変わっていない。あまり進化していないんです。
不満やストレスから解放できる方法があります。
・最初から期待しないこと。期待するから不満が生まれる(欲からの解放)
・余計なプライドなんか捨ててしまいましょう。他人にどう思われてもいいじゃない(見栄からの解放)
・永遠に生きることはできないことを知りましょう。必ず寿命が尽きます。明日、病気になるかもしれません。いま、出来ること、やりたいことを先延ばしにしないことです。(死や病からの解放)
上記は努力を止めるということではありません。
不満やストレスが増大している心では、冷静で正しい判断ができなくなります。冷静で正しい判断ができる心に戻すための方法です。まずは、冷静で正しい判断ができる心に戻して、そこから努力していけば必ず道は開かれます。
(記 普陀山妙法寺住職 正禅)

お金を出せば誰でも客ではない

カスタマーハラスメントという言葉が多く出てきました。よく見るニュースは、コンビニエンスストアの店員さんや、鉄道職員に暴言を吐いたり、暴力を振るったり。

これらのニュースを見ていると、住職はため息が出ます

カスタマーハラスメント、いわゆるお客さんが行う迷惑行為のことです。商売をしている人にとっては、「お金を出してくれるお客様は神さま。大切にしないといけない」というのが常識でしたが、今や、お金を出せば誰でも神様というわけではありません商品を売る側にもお客を選ぶ権利はあるのです。お金を払う側が偉い!なんてやっていると、そのうち誰も売ってくれなくなりますよ。

お金を払うという行為は、商品を作ってくれた生産者に感謝し、商品を届けてくれた物流事業者に感謝し、そして店舗で販売してくれた店員さんに感謝して、その対価として支払う行為です。こういった商品が生まれてお金で買えるまでの間に、様々な人々の業があるから商品が買えるのです。深夜でも商品が買えるのは、コンビニエンスストアの店員さんが深夜まで働いてくれるからです。ですから、店員さんに暴言を吐いたり、暴力を振るったりというのは、大変愚かで恥ずかしい行為です。

物の道理(様々な仕組み)を深く知れば知るほど、そのありがたさに気がつきます。カスタマーハラスメント行為をしている人たちは、こういった物の道理を理解していない、いわゆる仏教では「無知」「愚痴:ぐち(愚かな行為)」と言い、無知や愚痴は、三毒の1つで、行為している人も、その影響を受ける人も、共に不幸になるとお釈迦様は説かれています。人間という生き物は「貪り」「怒り・憎しみ」「無知・愚痴」の三毒には特に侵されやすい生き物なので、注意しましょう!とお釈迦様は説かれました。

こういったカスタマーハラスメントを行うお客さんを、店側は出入り禁止にしてよいのです。お金を払えば誰でも客ではないのです。商品が買えなくなれば、いずれ、そのありがたさに気がつき、無知ではなくなるでしょう。そのほうが、カスタマーハラスメント行為を行う人にとっても、良い機会になります。

(記 普陀山妙法寺 正禅住職)

愛情は奇跡を生む

知り合いのAさんは猫が大好きで、3匹の猫を飼っています。最初の子は丈夫で元気に育っていますが、末っ子は、残念なことに悪性のガンを発症し、獣医師さんからは「もう長くはもたないな」と宣告されていました。

ところが、悪性の癌にも関わらず、末っ子は毎日元気で、獣医師さんは「不思議だな。おかしいな。なぜ、こんなに元気なんだろう???」と。

Aさんは、「かわいいね!いい子だね!愛してるよ!」と言葉をかけながら、毎日、たくさんの愛情をかけて猫たちのお世話をしていたのです。

愛情をかけるというのは、実は奇跡を生み出すのではないかと住職は想像しています。前の量子の不思議な振る舞いのお話しや「言霊(ことだま)」のお話を書いていますが、「愛情」という意識は、高次元の世界に繋がりやすい、力の強い意識です。我々の住む3次元ではない高次元の世界は、量子の振る舞いからも、その存在は確実であることが最近わかってきました。人間の意識は高次元の世界に関与し、その中でも「愛情」という意識は高次元の世界と繋がりやすい意識なのです。

癌に侵されているものの、飼い主からの強い愛情が高次元空間を通じて末っ子に良い作用をもたらしているのではないかと考えています。愛情とは、「大切に想う気持ち」です。

猫に限らず、人にも動植物にも環境にも、「愛情をかける」ことの大切さを再認識するとともに、次元を超えた、その量子的効果には、今後も注目していきたいと思います。

(記 普陀山妙法寺 正禅住職)

仏教は物理学

仏教とは、お釈迦様の教えであり、お釈迦様が発見した人類の知恵でもあります。その根本にある考え方は「因果」です。

「因果」とは、原因と結果のことです。すべての事象には必ず原因(要因)があり、それらの相互作用として結果が生まれるというのが根本にある考え方です。また「因」に、「縁」というそのときの周囲の状況が作用することで、多様で複雑な結果が生じると説いています。これを「因」「縁」「果」の法則と言います。

すべての事象(結果)には、必ず要因があるという考え方は、現代物理学などの科学の根底にある考え方と同じです。つまり、お釈迦様の教え・知恵とは、まさに科学であるということです。

加えて、お釈迦様は実在した人間です。お釈迦様は、人間の苦しみは、何が原因で生まれてくるのかを追求しました。苦行を行ない、ガリガリに痩せてしまったのも、苦しみの原因を探るためだったのではないかと想像します。苦しみの要因を探る中で、お釈迦様は、我々の住むこの世界がどういう世界なのかを知る(悟る)ことになります。このお話は長くなるので、結論だけ書き添えておきますが、「我々の住む世界(三次元空間)は、空(高次元空間)という世界の一部であり、空の世界は実在し、我々の世界と相互作用している。このことがわかれば、心おだやかに、愛情をもって生活できますよ」ということです。我々を含む地球上の生命体は、一時の宿としてこの世界に仮住まいさせていただいているという感覚です。そして、お釈迦様の教えの根底にあるのは「慈愛」です。このお話はまたの機会に。

仏教をこのような視点で見ると、小住としては「仏教は宗教というよりも科学だよね!」と捉えています。

2600年もの歴史がある仏教には、多くのお釈迦様の弟子たちが、お釈迦様の言葉を経典にし、多様な洞察を行い、その過程でたくさんの経典(お釈迦様の知恵を記したもの)がでてきました。とても読み切れる量ではありませんが、多様な教えがあります。初期は小乗仏教として、どちらかといえば、修行僧自身の内なる目覚めを中心とした教え、その後は大乗仏教として、そこに住まう人々が、どうしたら幸福になれるか、心穏やかに生活ができるかにフォーカスされてきました。

多くの人々が、お釈迦様の知恵に帰依(きえ)すれば、この世界は確かに幸せになると考えます。「帰依」という語は、聞き慣れないかもしれませんが、簡単に言えば、「十分に理解し実践すること」です。

代表的なお釈迦様の知恵としては、

・むやみに生き物を殺してはいけません。
・人の物を盗んではいけません。
・嘘をついてはいけません。
・不倫をしてはいけません。
・お酒を飲んで(泥酔)してはいけません。

これを行うと不幸になりますよ!という教えです。実際、これを実行して不幸になっている人や組織をよく見ますね。

続いて、三毒(貪瞋痴:とんじんち)があります。

・貪(とん):あれも欲しい、これも欲しいという貪り
・瞋(じん):恨んだり、憎しみんだり、怒ったり
・痴(ち) :愚かな行為、愚痴、妄想、無知

三毒は人間という生き物が侵されやすい毒なので、特に注意しましょうね!というお釈迦様の分析結果です。この毒に侵されると、周囲もその人自身も不幸になってしまいます。粉飾決算や、従業員を大切にしない経営者や、人を大事にしない政治家や、店員に暴言を吐くカスタマーハラスメントや、あおり運転をやる人などは、この三毒に侵されています。現代社会は三毒に侵されている人が増えているのかもしれません。

続いて、どうすれば幸せな生活を送れるのかを教える「八正道」

正見・正見・正語・正業・正命・正精進・正念・正定

これも長くなるので、ここでは説明をしませんが、確かに、上記を皆が実践すれば、愛情に包まれた、居心地のよい社会になります。例えば「正語(しょうご)」。表面的には「正しい語を使いなさい。暴言を吐いたり、汚い言葉を使ってはいけません」という教えですが、お釈迦様の根底にある「慈愛」の精神を含めると「相手の状態をよく観察し、相手にとって愛情のある言葉をかけなさい」という意味です。現代は情報化社会にあって、SNSなどで匿名個人から発信が簡単にできるようになったのは良いが、心ない発言や誹謗中傷が蔓延するようになりましたね。皆が八正道の1である「正語」を実践するだけでも、この世界が良い社会になりますね。

話を戻すと、仏教は宗教という感覚よりも、科学的思考が強い教えです。自分の行いは自分に戻るという因果(自業自得)も科学的な教えと言えるでしょう。般若心経に説かれる世界は、現代物理学や量子論が気がつきはじめた、我々の存在する宇宙とは何か?を示しています。

物理学者のアインシュタインは、下記のような言葉を残しています。

「未来の宗教は宇宙的宗教でなければならない。それは個人的な神を超越し、教理や神学を避けなければならない。近代科学の必要に応じることができる宗教があるとすれば、それは仏教であろう。」

The religion of the future will be a cosmic religion. It will have to transcend a personal God and avoid dogma and theology. … If there is any religion that could respond to the needs of modern science, it would be Buddhism.” Einstein, as quoted by Ricard & Thuan, in The Quantum and the Lotus, 2001.

仏教に興味のある方は、どうぞ、八幡仏教会にお問い合わせください。

(記 普陀山妙法寺 正禅住職)

マインドフルネスの勧め

マインドフルネスとは、今、目の前の事象だけに意識が向いている状態です。この状態を得られれば、様々な不安が消えて無くなり、穏やかな心の状態を得ることができます。

マインドフルネス(Mindfuness)という言葉は、アメリカで生まれた言葉ですが、実は、お釈迦様が最初に説かれた「初転法輪」の中の「八正道」の1つ「正念」のことです。

正念(しょうねん)とは、意識を集中させることです。とはいっても、なかなか意識を集中させることは難しいことです。意識を集中させるには、トレーニングが必要です。

「意識を集中させる」とは、どういうことなのか?例えば、あなたが大好きな趣味に没頭しているとき、他のことは頭によぎりませんね。これが集中の状態です。

逆に、「正念」の反対語は「失念」です。「失念」という言葉をどういう場面で使いますか?例えば、うっかり、物忘れをしたときや、聞いていたことを忘れたときなどに使いますね。「申し訳ありません、失念しておりました」というように。失念とは、「心ここにあらず」「気が散っている」「うわのそら」の状態です。意識があちこちに飛び落ち着いていない状態です。気が散っている状態というのは、心(脳)にとってストレスになりますので、失念の状態を長く継続していると、次第に心(脳)が疲れて凝り固まっていき、正しい判断ができなくなり、失敗は増え、最後はうつ病になってしまいます。

それでは、意識を集中させる「マインドフルネス」のトレーニングは、どのように行えばよいのでしょう?その方法はたくさんあります。例としてあげると、

・一心にお経を読む(だんだん集中してきます)
・坐る瞑想(静かな環境に身を置き、今、目の前の事象だけに意識を向けて観察する)
・歩く瞑想(足の裏に神経を集中させて歩く)
・食べる瞑想(食べ物に意識を集中させて味わいながら食べる)
・寝る瞑想(仰向けで手のひらを上にして寝ながら、五感を使って今を感じる)

トレーニング方法は、他にも多数ありますが、共通事項は「五感を鋭くして、今、目の前の事象を観察すること」です。これを一週間も続ければ、心(脳)は冷静な穏やかな状態になってくるのです。また、気が散っている状態を、集中の状態にすっと入っていけるようになってきます。まずはやってみましょうね。

トレーニングのポイントとして、最初に「呼吸と姿勢」を整えます。姿勢は、大地から生えた大木のように、背筋をまっすぐに。呼吸は、胸いっぱいに空気を入れてゆっくり吐き出し、これを数回、ゆっくりやる。次に、過去や未来のことを頭の中から消し去ることもポイントです。過去の嫌なことを思い出したり、未来の嫌なことを想像したり(妄想)すると気が散った状態に戻ってしまいます。過去や未来に意識が向かないようにするために、五感を鋭くして、自分自身の状態、周囲の状態を観察します。景色・香り・音・味・肌の感覚で今の状態を観察し感じることです。このようにすると、意識を「今」に集中させやすくなります。読経などは、声を出すことでより意識を集中させやすくなります。

お寺の環境(鐘の音・線香の香り・境内のお花や鳥の鳴き声・水の音・流れる風)は、結局、マインドフルネスになるための要素がたくさん詰まった場所ということですね。

人間は記憶力と想像力の高い生き物です。そのために気が散りやすいとも言えます。しかし、よく考えてごらんなさい。過去はすでに無いし、未来がどうなるかは決まっていない。あるのは、今、現在だけなのです。

(記 普陀山妙法寺 正禅住職)

素粒子の世界と仏教

最先端の物理学である素粒子論では、素粒子は計算上10次元程度の世界にまで展開していることがわかってきた。次元とは、その空間を構成する要素である。我々の世界は縦・横・高さの3次元である。

素粒子の振る舞いは、我々の住む3次元空間で観測すると非常に奇妙な振る舞いをする。その1つは、

素粒子は観測されるまでは波の性質を持ち、観測されると粒子になるという粒子の二重性

人間が見ていないときは、素粒子は波のように広がっており、人間に見られると粒になるという、なんとも奇妙な性質を持っている。3次元世界はすべて素粒子で構成されているので、我々が見ている物や物質は、我々が見ていないときには、波動になっているということなのだ。一体、我々は何を見ているのだろうか。

もうひとつは、直近の実験で得られた事象なのだが、二重スリット実験で奇妙な現象がある。例として、素粒子の1つである電子を飛ばして2つのスリットを通過させる実験で、人間が観測していないときは、ひとつの電子が波のように2つのスリットを同時に通り抜けるが、人間が観測していると粒子となり、2つのスリットのうち、片方だけを通過する。人間が見ているときと見ていないときで電子の振る舞いが変わるのだ。

さらに奇妙なことに、二重スリットの横に人間を座らせ、手前のスリットを通るように念じると、手前のスリットを通過する確率が増えてくるという実験結果。人間の念(意識)が電子の振る舞いに影響を与えるのだ。

素粒子が人に見られていたり、人が念じることで振る舞いを変えるという、なんとも奇妙な実験結果なのである。

現代は半導体という技術のおかげで、生活が豊かになってきた。半導体の技術は、固体中で電子をいかに制御するかという技術なのだが、素粒子の中でも電子については、人工的に、かなり制御ができるようになってきたし、様々な知見が得られている。

電子の状態(位置と運動量(移動速度))をあらわすシュレーディンガーの波動方程式がある。この方程式の中には、虚数(Imaginary Number)が出てくる。実数(我々の3次元世界に存在する数)に対して、虚数は、3次元世界には存在しえない数である。つまり、虚数で表現されるということは、電子(素粒子)は3次元を超えた高次元にまで存在していることを示しているのだ。

さて、話しは変わって、お釈迦様が説かれた有名なお経に「般若心経」がある。般若心経には、我々が住んでいる世界がどうなっているかが書かれている。我々の3次元世界は「空相(くうそう)」すなわち「空(くう)」の一部である。空というのは3次元を超えた高次元空間のことである。「色即是空」「空即是色」と書かれているように、我々の世界(空相)は、高次元空間「空」の一部であり、我々の肉体や魂をあらわす「色(しき)」は、空と空相を行ったり来たりすると書かれているのだ。この話もなんとも奇妙な話しだ。

素粒子は3次元空間を超えた高次元空間にまで存在しているが、人間の念や意識が素粒子の振る舞いに影響を与えるということは、人間の念や意識も、高次元空間まで影響を与えているということでもある。3次元空間では素粒子の振る舞いが奇妙に思えるが、高次元空間から3次元空間を眺めていれば、おそらく奇妙でもなんでもないのだろうと想像できる。

3次元空間に存在する人間の五感では、縦・横・高さの3次元の空間しか認知することができないが、高次元空間は明らかに存在しており、人によっては、高次元空間からのシグナルを感じることができる人がいるようだ。我々が日常、奇妙な現象を経験することが稀にあるが、それらは、高次元空間からのシグナルを感じたということではないかと思われる。人間の五感というのは、3次元世界の中の狭い範囲しか感じることができないのだ。にもかかわらず、人間の五感で感じ得ないからといって、そこには何もないというのは人間の傲慢である。見えていない事象のほうが明らかに多いのだ。そもそも3次元しか存在しないと考えるほうが不自然であろう。

壁で囲まれると、外へ出れないと思っているのは3次元しか認知できないからであり、高次元の世界から見れば、壁があっても通り抜けることができるはずだ。電子にトンネル効果があるように。

いわゆる神仏の世界や霊界、あの世と呼ばれる世界について、3次元を超えた高次元の世界として捉えれば、様々な事象がすっきりと理解できようというものだ。そして、人間の念や意識が高次元の世界に作用し、また高次元の世界からのシグナルを3次元世界の人間も感じることができるということでもあり、一心に念仏を唱えることは、高次元空間にシグナルを送るということにもつながるはずだ。

人間の念や意識の中でも、特に高次元の世界と繋がりやすい念や意識があり、それは「愛情」であると、住職の経験から申し上げておこう。「慈愛」をそそぐ行為は、すなわち、高次元の世界と繋がるための訓練なのである。

(記 普陀山妙法寺 正禅住職)

「2つのじあい」

新型コロナウイルス感染は、人の体・いのちをむしばむだけではなく、人の心までむしばむものとなりました。

「看護師のお子さんは通園させないで欲しい。」

我が身を捧げて、最前線でコロナ感染治療に奮闘されている看護師さんに告げられた冷酷なことば。

コロナ感染への恐怖から、医療従事者の生きがい、子どもたちの楽しみまで奪ってしまった。「コロナで困っている漁師を助けるために、海産物の購入に協力を。得々の特別低価格で、新鮮海産物 を届ける。」コロナの流行に便乗した電話による詐欺商法。代金引換(代引)で受け取った商品。空けたら中味はカスカス。問合せする電話はつながらず、所在地も架空住所。人の心をもてあそぶ犯罪が横行する。

今わたしたちは、2つの「じあい」の大切さを学んでいます。

1つは「自身を大切にする自愛(じあい)」であります。相手の健勝を願って「どうかご自愛ください」ということばを添えますね。コロナ禍において、感染予防のための接種、マスク、消毒、ディスタンス・・・自ら自分の身体を護り、大切にすることは当然必要であります。

実は「自愛経」というお経があります。そこには「自愛とは身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)を清らかにし、三宝(さんぼう)に帰依すること」と示されています。身は身体、口は言語、意は心意を表します。三業(3つ行為)は身業(身体にかかわる行為)・口業(言語にかかわる行為)・意業(意思にかかわる行為)のことです。時として、その三業が悪い行い(罪をつくる)につながることがあります。

身においてつくる罪は殺生(せっしょう)(いのちを奪う)・偸盗(ちゅうとう)(盗み)・邪淫(じゃいん)(みだら・よこしま)。

口においてつくる罪妄語(もうご)(うそをつく)綺語(きご)(飾りことば)悪口(あっく)(わるぐち)両舌(りょうぜつ)(二枚舌)。

意においてつくる罪貪欲(とんよく)(欲深い)瞋恚(しんに)(怒りうらむ)愚痴(ぐち)(おろかさ)。悪い行い(罪をつくる)につながることのないように、身・口・意を常に清らかにすることが大切なのです。そのことが、自らを大切にし、自らを護ることにつながるのですね。

2つ目の「じあい」は慈愛です。「慈しみの愛」です。「慈しみ」とは、自分だけではなく、すべての人の苦しみを取り除く「抜(ばつ)苦(く)」、楽しみを与えてあげる「与(よ)楽(らく)」ことです。「慈悲」に通じるものなのです。

人が痛み苦しむ棘(とげ)をそっと優しく取り除いてあげる。たとえ親がひもじくとも、子どもには温かい食物を与えてあげたい。ここに慈悲の心があります。

「コロナ」によって、人としての優しさ、人と人の温もりのふれあいまで奪われてはなりません。これからは「ウィズコロナ」の世の中になりそうです。だからこそ、2つのじあい「自愛」・「慈愛」を大切にしていきたいものです。

(記 太光寺 八耳住職)

感謝の念は心を安定させ、ストレスを軽減する

住職のなんでも相談室やマインドフルネス講座をやっていて気づいたこと。それは、いつも、何かに「感謝」している人には、鬱病を見たことが無いという事実です。

いつも何かに感謝するためには、知識や経験、そしてちょっとした洞察力が必要。なぜならば、日常のいろいろな場面で、多くの感謝する対象に気づく、見つけるためには、知識、教養、経験による情報量と、その情報を元に、その奥にある真実、状態までを想像(洞察)することがポイントだからです。このような日常の中でのたくさんの気づきを実践している人たちは、いつも何かに感謝している状態となります。

「感謝」する事象にたくさん気がつくというのが、心(脳)にたいへん良い効果をもたらします。住職はヨガも教えていますが、ヨガで体をストレッチすることで、筋肉の凝りがほぐれ、体全体が軽くなります。いっぽう、心(脳や心臓)はどうやってほぐすのか?これが結果的に「感謝の念」なのです。

マインドフルネスの実践は、今、目の前のことに意識を集中させ、観察することから始まります。観察した結果は元情報となります。次に得られた情報から、瞑想によって、その奥にある事象までを想像(洞察)していくと、いろいろな事実が見えてきます。そして、その中の多くの事実が、自分を支えている、自分を生かしてくれていることに気づきます。例えば、自分の身近な隣人である両親、家族、友人。また飼っているペット、周囲の生き物。空気、水、太陽、地球、宇宙などの環境も同様。さらには人類が構築した社会インフラ(上下水道・電気通信・ガス・交通機関)、商店、そして国家、行政機関。またそこで働いているたくさんの人たちも。書き始めるときりがありません。

そして、あら不思議。「感謝の念」を心(脳)にたくさん与えると、心(脳)は、穏やかに安定しはじめ、顔もにっこり。穏やかな心(脳)は、さらに安定した心(脳)を育成し、新たな気づきを発見していく。さらに進むと、今まで見えなかったものが見えるようになってくる。住職は、このことを「魂の次元が上がる」と表現しています。神仏の世界に近づくという感覚でしょうか。

コンビニの店員さんに、不手際があったからと土下座させるなんて、とんでもない。深夜まで働いてくれる店員さんがいるから、深夜に買い物ができるわけ。コロナウィルスの感染を恐れて、宅配業者に「近寄るな」などの暴言を吐くのも、とんでもない。宅配業者がいないと困るでしょう。訪問看護の医師の対応が気に食わないと散弾銃で撃ち殺すなんて、とんでもない。訪問看護でどれだけの人が助かっていることか。

「感謝の念」は、ストレスを減らす心(脳)の栄養素。真の仏教徒やキリスト教の信者が、いつも笑顔でにこにこしているのは、いつも、何かに感謝しているから。そして、彼らの中には、鬱病は皆無といっていいでしょう。いつも「ありがとう、ありがとう」と言っているお爺さんやお婆さんたちは、長年の経験から魂の次元が高くなっており、神仏の世界に近づいているのかも。

(記 普陀山妙法寺 正禅住職)